Jinmu

神武天皇

神日本磐余彦天皇、諱彦火火出見、彦波瀲武

草葺不合尊第四子也。母曰玉依姫、

海童之少女也。天皇生而明達、意

如也、年十五立爲太子。長而娶日向國吾田邑吾平津媛、

爲妃、生手研耳命。

神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)、諱(いなみ)は彦火火出見(ひこほほでみ)で、

彦波瀲武

草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)の第四子です。

　　　諱・・・人の死後にその人を尊んで贈る称号

　　　　　　生存中のなまえを「名」といい、死んでからは「いみな（諱）」という

母は玉依姫と言い、海童の娘です。

天皇は聡明で道理をわきまえているように生まれ、考えはかたくしっかりして揺るがないようでした。

１５歳で太子に立ちました。

　　　太子・・・皇位を継ぐものと定められている皇子や王子

成長して日向国の吾田邑(あたのむら)の吾平津媛(あひらつひめ)を娶り、

妃であるために、手研耳命(たぎしのみみのみこと)を生みました。

及年

五歳、謂諸兄及子等曰「昔我天神、高皇産靈尊・大日

尊、

舉此豐葦原瑞穗國而授我天祖彦火瓊々杵尊。於是火瓊々杵尊、闢天關披雲路、驅仙蹕以戻止。

是時、運屬鴻荒、時鍾草昧、故蒙以養正、治此西偏。皇祖皇考、乃神乃聖、積慶重暉、

多歴年所。自天祖降跡以逮于今一百七十九萬二千四百七十餘歳。而遼

之地、

猶未霑於王澤、遂使邑有君・村有長・各自分疆用相凌

。抑又聞於鹽土老翁、曰『東有美地、

靑山四周、其中亦有乘天磐船而飛降者。』余謂、彼地必當足以恢弘大業・光宅天下、

蓋六合之中心乎。厥飛降者、謂是饒速日歟。何不就而都之乎。」諸皇子對曰「理實灼然、

我亦恆以爲念。宜早行之。」是年也、太歳甲寅。

45歳の年、兄達及び子等に述べました

　「昔我が天神、高皇産靈尊・大日

尊は、すべてのこの豐葦原瑞穗國を

我の天祖の彦火瓊々杵尊に授けました。そこで火瓊々杵尊は、

天關(あまのいわくら)をひらき雲路(くもぢ)をひろげ、仙蹕(みさきはらい)をかけさせて

到来しました。

　　　天關・・・天界に出入りする門に置かれた関所

　　　雲路・・・月や鳥などが通るとされる雲の中の道

　　　仙蹕・・・行幸の行列

この時、さだめは太古につながり、草昧をあつめ、無知を以て正しさを養い、

この西辺の地を納めました。

　　　草昧・・・国の開け初めで、まだ秩序の整わないこと

皇祖皇考(みおや)、すなわち神の聖人は、祝福を積み輝きを重ね、多くの年月を

経ました。

　　　皇祖・・・天子の始祖。日本では、建国の草創期の神々や天皇の総称

　　　皇考・・・在位中の天皇が、なくなった父君をいう語

天祖が降臨した後から今の179万2470あまりの歳におよびます。

そして遠く遥かな地は、なお未だに王の恩恵が行き渡ってはなく、遂には

邑に君あり・村に長あり・各々自ら境を分けて用いて互いにあなどり

踏みにじむことに使いました。

そもそもまた鹽土老翁(しおつちのおじ)に聞いて、言いました

『東によく肥えた地があり、樹木が青々と茂っている山が四方をとりかこみ、

その中に天磐船(あまのいわふね)に乗って飛んで降りてきた者がいた。』

私が思うに、この地は必ず帝王の行なうべき仕事を広く大きくし・天下を

治めるに足り、おもうに世界の中心となるだろう。

　　　六合・・・天地と四方。世界。全宇宙

その飛び降りた者は、これは饒速日(にぎはやひ)だと思う。

どうして任務についてここを統べないのか。」

諸々の皇子が答えて言いました

　「本当にすべてが明らか、我もまた常に考え思う。早く行くべきだ。」

この年です、太歳(たいさい)の甲寅(きのえとら)です。

　　　太歳・・・木星の鏡像となる仮想の惑星で古代中国の天文暦学において設けられ、

　　　　　　　　　太歳の十二辰上の位置で年を記述する太歳紀年法

　　　甲寅・・・干支の一つ

其年冬十月丁巳朔辛酉、天皇親帥諸皇子舟師東征。至速吸之門、時有一漁人乘艇而至、

天皇招之、因問曰「汝誰也。」對曰「臣是國神、名曰珍彦、釣魚於曲浦。聞天神子來、

故即奉迎。」又問之曰「汝能爲我導耶。」對曰「導之矣。」天皇、勅授漁人椎

末、

令執而牽納於皇舟、以爲海導者。乃特賜名、爲椎根津彦(椎、此云辭毘)、此即倭直部始祖也。

行至筑紫國菟狹。菟狹者地名也、此云宇佐。時有菟狹國造祖、號曰菟狹津彦・菟狹津媛、

乃於菟狹川上、造一柱騰宮而奉饗焉。一柱騰宮、此云阿斯毘苔徒鞅餓離能宮。是時、

勅以菟狹津媛、賜妻之於侍臣天種子命。天種子命、是中臣氏之遠祖也。

その年の10月５日、天皇はみずから諸々の皇子と水軍を率いて東へ

征きました。

　　　丁巳(ひのとみ)・・・干支の一つで干支の組み合わせの54番目

　　　朔・・・陰暦で、月の第一日

　　　辛酉(かのととり)・・・干支の一つで干支の組み合わせの58番目

速吸之門(はやすいのと)に至り、その時一人の漁師がいて艇に乗ってやってきて、

天皇はこれを招き、問いて言いました

　　　速吸の門・・・豊予海峡(速吸瀬戸)の古称

　「汝は誰だ。」

答えて言いました

　「私めは国神で、名を珍彦(うずひこ)といい、曲浦(わたのうら)で魚を釣っています。

天神の子が来ると聞き、したがってお迎え奉っています。」

　　　曲浦・・・まがりくねった岸辺の浦

まくた問いて言いました

　「汝はうまく我を案内できるか。」

答えて言いました

　「案内できます。」

天皇は、勅で漁師に椎

(しひのさほ)の先を授けて、取らさせて皇舟を

牽き納めて、海の導き者となりました。

　　　椎

・・・椎（しひ）の木で造った舟の棹（さお）

そして特に名をいただいて、椎根津彦(しひねつひこ)といい(椎、これを辭毘(しひ)

といいます)、これは倭直部(やまとのあたひべ)の始祖です。

行って筑紫国(つくしのくに)の菟狹(うさ)に至りました。

菟狹は地名で、これを宇佐(うさ)といいます。

その時に菟狹の国造(くにのみやつこ)の祖先、名を菟狹津彦(うさつひこ)・

菟狹津媛(うさつひめ)といい、そして菟狹の川上に、一柱騰宮(あしひとつあがりのみや)を造り

もてなし奉りました。

一柱騰宮、これを阿斯毘苔徒鞅餓離能宮といいます。

この時、勅で菟狹津媛を、そばに仕える家来の天種子命(あめのたねこのみこと)に

賜りました。

天種子命、これは中臣氏の遠い祖先です。

十有一月丙戌朔甲午、天皇至筑紫國岡水門。

11月9日、天皇は筑紫國の岡水門に至りました。

　　　岡水門・・・福岡県北部、遠賀川河口付近の古地名

十有二月丙辰朔壬午、至安藝國、居于埃宮。

12月27日、安藝國に至り、埃宮に住みました

　　　埃宮・・・神武天皇が九州から大和に向かう東征の際、現在の広島県安芸郡府中町に

　　　　　　　　　駐在したときの行宮

乙卯年春三月甲寅朔己未、徙入吉備國、起行館宮以居之、是曰高嶋宮。積三年間、脩舟

、

蓄兵食、將欲以一舉而平天下也。

乙卯年（きのとうのとし）(52年)の春3月6日、吉備國に移り入り、行宮を建てて

滞在し、これを高嶋宮と言い、３年間いて、船と舵を仕上げて、兵食を蓄え、

まさに一挙に天下を平定しようと思いました

戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂東、舳艫相接。方到難波之碕、會有奔潮太急。

因以名爲浪速國、亦曰浪花、今謂難波訛也。訛、此云與許奈磨盧。

戊午年（つちのえうまのとし）(55年)春2月11日、皇師は東に進み、船首と船尾に

近づいて触れ合いました。

難波之碕(なにわのさき)に到り、勢いがいい潮がはなはだ速く、よって名を

浪速国(なみはやのくに)と言い、または浪花(なみはな)と言い、今言う難波は訛りです。

訛、これは與許奈磨盧(よこなまる)と言います。

三月丁卯朔丙子、遡流而上、徑至河内國草香邑靑雲白肩之津。

3月10日、流れを遡って上がり、まっすぐに河内国(かわちのくに)の草香邑(くさかむら)の

靑雲(あおくも)の白肩の津(しらかたのつ)に至りました。

夏四月丙申朔甲辰、皇師勒兵、歩趣龍田。而其路狹嶮、人不得並行、

乃還更欲東踰膽駒山而入中洲。時、長髄彦聞之曰「夫天神子等所以來者、必將奪我國。」

則盡起屬兵、徼之於孔舍衞坂、與之會戰。有流矢、中五瀬命肱脛。皇師不能進戰、天皇憂之、

乃運神策於沖衿曰「今我是日神子孫而向日征虜、此逆天道也。不若、退還示弱、禮祭神祇、

背負日神之威、隨影壓躡。如此、則曾不血刃、虜必自敗矣。」僉曰「然。」於是、令軍中曰「且停、

勿須復進。」乃引軍還。虜亦不敢逼、却至草香之津、植盾而爲雄誥焉。雄誥、此云烏多鶏縻。

因改號其津曰盾津、今云蓼津訛也。初、孔舍衞之戰、有人隱於大樹而得兔難、仍指其樹曰

「恩如母。」時人、因號其地曰母木邑、今云飫悶廼奇訛也。

夏4月9日、皇師は兵を整え、歩いて龍田に赴きました。

しかしその路は狭く険しく、人が並んで行けず、それで還って更に東の

膽駒山(いこまやま)を越えて中洲(うちつくに)に入りたいと思いました。

　　　中洲・・・大和

時に、長髄彦(ながすねひこ)がこれを聞いて言いました

　「それは天神の子等が来るのは、きっと我が国を奪うに違いない。」

即ちある限り手下の兵を起こし、孔舍衞坂(くさえのさか)で迎え、會戰を

起こしました。

　　　孔舍衞坂・・・大和・河内の二か国を結び、現在の暗(くらがり)峠または

　　　　　　　　　　　　善根寺越にあたるといわれる

　　　會戰・・・両軍の主力が一定の場所で対戦すること

流矢があり、五瀬命(いつせのみこと)の肱脛(ひぢはぎ)に当たりました。

皇師は戦に進めず、天皇はこれを憂いて、それで霊妙なはかりごとを

胸の中でめぐらし言いました

　「今我は日神の子孫で日に向かって蛮族を討ちに行く、これは天道を

逆らうことだ。いっそのこと、弱いと示して還って退き、天の神と地の神を

うやまい祭り、日神の威を背に負い、影に従い圧倒し踏みつけるだろう。

このように、かつて血刃ではなく、蛮族は必ず自ずから敗れるだろう。」

　　　血刃・・・ケガ・病気・事故・事件など、血にまつわる災厄を暗示する凶星

みな言いました

　「そのとおり。」

そこで、軍中に命じて言いました

　「ひとまず停まり、また進む必要はない。」

そして軍を率いて還りました。

賊もまた敢えて近づかず、しりぞいて草香の津に到り、盾を立てて

雄誥(おたけび)をあげました。

雄誥、これを烏多鶏縻と言います。

それでその津の名を改めて盾津と言い、今言う蓼津(たでつ)は訛りです。

初めに、孔舍衞(くさえ)の戦で、大樹に隠れる人がいて難を逃れ、そして

その樹を指して言いました

　「母のような恩。」

その時の人は、よってその地を名付けて母木邑(おものきのむら)と言い、

今言う飫悶廼奇(おものき)は訛りです。

五月丙寅朔癸酉、軍至茅淳山城水門。亦名山井水門。茅淳、此云智怒。時五瀬命矢瘡痛甚、

乃撫劒而雄誥之曰撫劒、此云都盧耆能多伽彌屠利辭魔屡「慨哉、大丈夫慨哉、

此云宇黎多棄伽夜被傷於虜手、將不報而死耶。」時人因號其處、曰雄水門。

進到于紀伊國竈山、而五瀬命薨于軍、因葬竈山。

5月8日、軍は山城水門(やまきのみなと)に到りました。

またの名を山井水門(やまのいのみなと)と言います。

茅淳、これを智怒(ちぬ)と言います。

時に五瀬命(いつせのみこと)の矢の傷は痛みが甚だしく、剣の柄を握り雄叫びをあげ

言いました

(撫劒、これを都盧耆能多伽彌屠利辭魔屡（つるぎのたかみとりしばる）と言います)

　「いまいましい、大丈夫(ますらを)が

(慨哉、これを宇黎多棄伽夜(うれたきかや)と言います)

賊の手で傷を負わされ、お返しもせずに死ぬのか。」

　　　丈夫(ますらお)・・・勇気のある強い男。武人。兵士。

その時の人は、その場所を名付けて、雄水門(おのみなと)といいました。

紀伊国の竃山(かまやま)に進み到着して、五瀬命は戦において死に、

よって竈山に葬りました

六月乙未朔丁巳、軍至名草邑、則誅名草戸畔者。戸畔、此云妬

。遂越狹野而到熊野神邑、

且登天磐盾、仍引軍漸進。海中卒遇暴風、皇舟漂蕩、時稻飯命乃歎曰「嗟乎、吾祖則天神、

母則海神。如何厄我於陸、復厄我於海乎。」言訖、乃拔劒入海、化爲鋤持神。三毛入野命、

亦恨之曰「我母及姨並是海神。何爲起波瀾、以灌溺乎。」則蹈浪秀而往乎常世鄕矣。

６月２３日、軍は名草邑(なくさのむら)に至り、名草戸畔(なぐさのとへ)を殺しました。

　　　名草邑・・・和歌山市名草山

　　　名草戸畔・・・戸畔は、女性首長を指す古い言葉で、名草戸畔とは名草村の女性首長の意味

戸畔、これを妬

(とへ)と言います。

遂に狭野(さの)を越えて熊野神邑(くまののかむのむら)に至り、そして天磐盾(あめのいはたて)に

登り、なおも軍を率いて少しずつ進みました。

　　　狹野・・・和歌山県新宮市佐野

　　　熊野神邑・・・新宮市三輪崎

　　　天磐盾・・・新宮市熊野速玉神社の神倉山

海中でにわかに暴風に遭い、皇の舟は漂い、稻飯命が嘆いて言いました

「ああ、吾の祖先は天神で、母は海神です。どうして陸で我をくるしめ、

また我を海でもくるしめるのか。」

言い終え、そして剣を抜き海に入り、鋤持神(さひもちのかみ)に変わりました。

　　　鋤持神・・・刀剣を持っている神

三毛入野命(みけいりののみこと)は、恨んで言いました

「我が母及び母方の姉妹はみなこれ海神です。どうして大小の波を起こして、

水が流れこみ溺れさすのか。」

そして波の高く立った所を踏んで常世鄕に行きました。

天皇獨與皇子手研耳命、帥軍而進、至熊野荒坂津亦名丹敷浦、因誅丹敷戸畔者。

時、神吐毒氣、人物咸瘁、由是、皇軍不能復振。時彼處有人、號曰熊野高倉下、忽夜夢、

天照大神謂武甕雷神曰「夫葦原中國猶聞喧擾之響焉。聞喧擾之響焉、此云左揶霓利奈離。

宜汝更往而征之。」武甕雷神對曰「雖予不行、而下予平國之劒、則國將自平矣。」天照大神曰

「諾。諾、此云宇毎那利。」時武甕雷神、登謂高倉下曰「予劒號曰

靈。

靈、

此云赴屠能瀰

磨。今當置汝庫裏。宜取而獻之天孫。」高倉下曰「唯々」而寤之。明旦、

依夢中教、開庫視之、果有落劒倒立於庫底板、即取以進之。

天皇は一人息子の皇子手研耳命と、軍を率いて進み、

熊野荒坂津(くまのあらさかつ)に至りまたの名を丹敷浦(にしきのうら)といい、そして

丹敷戸畔(にしきとべ)を殺しました。

　　　熊野荒坂津・・・現在の三重県熊野市大泊

　　　丹敷戸畔・・・トベとは、戸女(とめ)の「メ」が「ベ」に転訛した言葉で、女性の族長を指す

その時、神が毒気を吐き、人も物もことごとく病み、そのことから、皇軍は

再び盛んになることが出来ませんでした。

この地に人がいて、名を熊野高倉下(くまののたかくらじ)と言い、にわかに夜に

夢を見て、天照大神が武甕雷神(たけみかづち)に言いました

　「その葦原中國は聞喧擾之響焉(さやげりなり)。

　　　聞喧擾之響焉・・・騒がしい音が聞こえてくる

(聞喧擾之響焉、これを左揶霓利奈離と言います。)

汝は更に進みこれを征つのがよい。」

武甕雷神は答えて言いました

　「われが行かなくても、それでもわが平國之劒(くにをたひらげしのつるぎ)を下し、

すなわち国は間もなく自ら静まるだろう。」

天照大神が言いました

　「よろしい。

(諾、これを宇毎那利(うまなり)と言います)」

武甕雷神は、すぐに高倉下(タカクラジ)に言いました

　「我が剣の名は

霊(ふとのみたま)という。

(

靈、これを赴屠能瀰

磨と言います。)

今まさにそれを汝の蔵の裏に置く。手に取って天孫に献じるのがいい。」

高倉下がいいました

　「はい」

そして目が覚めました。

　　　唯々(ただただ)・・・かしこまって承諾する時の応答のことば。はい。

明日の朝、夢の中の教えのままに、倉を開けて視ると、思ったとおり落ちて

蔵の底板に逆立ってあり、直ちにとってこれを進めました。

于時、天皇適寐。忽然而寤之曰「予何長眠若此乎。」尋而中毒士卒、悉復醒起。既而皇師、

欲趣中洲、而山中嶮絶、無復可行之路、乃棲遑不知其所跋渉。時夜夢、天照大神訓于天皇曰

「朕今遣頭八咫烏、宜以爲鄕導者。」果有頭八咫烏、自空翔降。天皇曰「此烏之來、自叶祥夢。

大哉、赫矣、我皇祖天照大神、欲以助成基業乎。」是時、大伴氏之遠祖日臣命、帥大來目、

督將元戎、蹈山啓行、乃尋烏所向、仰視而追之。遂達于菟田下縣、因號其所至之處、

曰菟田穿邑。穿邑、此云于介知能務羅。于時、勅譽日臣命曰「汝忠而且勇、加能有導之功。

是以、改汝名爲道臣。」

この時、天皇はよく眠っていました。

突然目覚めて言いました

　「私はなぜこのように長く寝てしまったのか」

と尋ねると毒に当たっている軍兵が、ことごとく再び目覚め起きました。

やがて皇師は、中洲(うちつくに)に向かいたく、しかれども山の中は極めて険しく、

また行ける路もなく、そこでせわしく山野を越え川をわたる場所が

分りませんでした。

　　　中洲・・・大和

夜に夢を見て、天照大神が天皇に教えて言いました

　「朕は今頭八咫烏(やたからす)を遣わし、郷導者(くにのみちびきひと)とするのがよい。」

　　　郷導・・・人々の先頭に立って導くこと。また、その人。道しるべ。

思ったとおり頭八咫烏がいて、空より飛び降りました。

天皇は言いました

「この鳥が来て、自ずから吉夢を叶える。素晴らしい、輝かしい、我の皇祖の

天照大神は、その業を成す助けをしたいのだろう。」

この時、大伴氏(おおとものうじ)の祖先の日臣命(ひのおみのみこと)は、大来目(おほくめ)を

率いて、元戎(げんじゅう)を率いる将軍として、山を踏み先払いをし、すなわち

鳥の向かう所を尋ねて、仰視てこれを追いました。

　　　大来目・・・古代日本の人物。久米直（くめのあたい）の祖として伝えられている豪族

　　　元戎・・・諸葛亮が開発したとされ、同時に多数の矢を発射できる弩弓

遂には菟田(うだ)の下県(しもあがた)に達し、よってその至った所を名付け、

菟田穿邑(うだのうがちのむら)と言います。

穿邑、これを于介知能務羅と言います。

この時、勅で日臣命(ひのおみのみこと)を誉めて言いました

「汝はまごころを尽くして仕え且つ勇ましく、加えて上手く手柄に導いた。

これをもって、汝の名を道臣(みちのおみ)と改めよ。」

秋八月甲午朔乙未、天皇使徴兄猾及弟猾者。猾、此云字介志。是兩人、菟田縣之魁帥者也。

魁帥、此云比鄧誤廼伽瀰。時、兄猾不來、弟猾即詣至、因拜軍門而告之曰

「臣兄々猾之爲逆状也、聞天孫且到、即起兵將襲。望見皇師之威、懼不敢敵、乃潛伏其兵、

權作新宮而殿内施機、欲因請饗以作難。願知此詐、善爲之備。」天皇即遣道臣命、察其逆状。

時道臣命、審知有賊害之心而大怒誥嘖之曰「虜、爾所造屋、爾自居之。」爾、此云飫例。

因案劒彎弓、逼令催入。兄猾、獲罪於天、事無所辭、乃自蹈機而壓死、時陳其屍而斬之、

流血沒踝、故號其地、曰菟田血原。已而弟猾大設牛酒、以勞饗皇師焉。天皇以其酒宍、

班賜軍卒、乃爲御謠之曰、謠、此云宇

預瀰。

秋8月2日、天皇は兄猾(えうかし)及び弟猾(おとうかし)を招集しました。

猾、これを宇介志と言います。

この二人、菟田(うた)の縣(あがた)の魁帥(ひとこのかみ)でした。

魁帥、これを比鄧誤廼伽瀰と言います。

　　　魁帥・・・一群の人の長。首長。

その時、兄猾は来ず、弟猾はすぐに詣でに到り、そして軍門を拝んで告げて

言いました

　「わたくしめの兄の兄猾はこれに逆上し、天孫がさらに到ったと聞き、

すぐに兵を起こして間もなく襲おうとしている。皇師の威光を望み見て、

おじけづいて敢えて手向かわず、そしてその兵を潜伏させ、新宮を仮に作って

殿内にからくりをほどこし、饗を引き受け災いをなしたい。願わくばこの欺きを

知り、うまく備えてください。」

天皇はすぐに道臣命(みちのおみのみこと)を遣いその逆上の状況をくわしく

調べました。

道臣命は、つまびらかに損害を与える心があると知って大いに怒り大声で

叫んで申し渡して言いました

　「虜(やつこ)、おのれが造った新宮、おまえ自らこれに居れ。」

　　　虜・・・敵をののしっていう語。生け捕りにした者。

爾、これを飫例(おれ)といいます。

そして剣を押さえて弓を引き、せまって命じて入るよう促しました。

兄猾は、天に罪を負い、事の言葉もなく、そして自らからくりを踏んで圧死し、

その屍を並べてこれを斬り、流れる血がくるぶしを隠れて見えなくなり、

故にその地を名付け、菟田血原(ウダノチハラ)といいます。

すでに弟猾はおおいに牛肉と酒をもうけて、もって皇師を労いもてなしました。

天皇はその酒と獣類の肉をもって、軍の兵士に分かち与え、そして歌を

歌われて言われ、謠、これを宇

預瀰(うたよみ)といいます。

于

能多伽機珥　辭藝和奈陂蘆　和餓末菟夜　辭藝破佐夜羅孺　伊殊區波辭　區

羅佐夜離　

固奈瀰餓　那居波佐麼　多智曾麼能　未廼那鶏句塢　居氣辭被惠禰　宇破奈利餓　那居波佐麼　

伊智佐介幾　未廼於朋鶏句塢　居氣

被惠禰

于

能多伽機珥(うだのたかきに)　辞芸和奈陂蘆(しきわなはる)　和餓末菟夜(わがまつや)　

辞芸破佐夜羅孺(しきはさやらず) 　伊殊区波辞(いすくはし)　區

羅佐夜離(くぢらさやり)　

固奈瀰餓(こなみが)　那居波佐麼(はこはさば)　多智曽麼能(たちそばの) 　

未廼那鶏句塢(みのなけくを)　居気辞被恵禰(こきしひえね)　宇破奈利餓(うはなりが)　

那居波佐麼(なこはさば)　伊智佐介幾(いちさかき) 　未廼於朋鶏句塢(みのおほけくに)　

居気

被恵禰(こきだひえね)

《兎田の高城に　鷸(しぎ)罠張る　我が待つや　鷸は障らず　いすくはし　鯨障り

先妻(こなみ)が　肴乞はさば　立ち蕎麦の　実の無けくを　こきし聶(ひ)ゑね　

後妻(うはなり)が　肴乞はさば

(いちさかき)　実の多けくを　こきだ聶(ひ)ゑね》

兎田の高城にシギを捕らえる罠を張った　私が待っていると鴫はかからず鯨がかかった

先妻が肴を欲しがったら　立っている蕎麦の　実がない所を　数多くそぎとってやれ

後妻が肴を欲しがったら　

の実を　数多くそぎとってやれ

是謂來目歌。今樂府奏此歌者、猶有手量大小、及音聲巨細、此古之遺式也。是後、

天皇欲省吉野之地、乃從菟田穿邑、親率輕兵巡幸焉。至吉野時、有人出自井中、光而有尾。

天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是國神、名爲井光。」此則吉野首部始祖也。更少進、

亦有尾而披磐石而出者。天皇問之曰「汝何人。」對曰「臣是磐排別之子。」排別、此云飫時和句。

此則吉野國樔部始祖也。及縁水西行、亦有作梁取魚者。梁、此云揶奈。天皇問之、對曰

「臣是苞苴擔之子。」苞苴擔、此云珥倍毛菟。此則阿太養

部始祖也。

これを來目歌(くめうた)と言います。

今樂府(うたまひのつかさ)でこの歌をを奏するものは、なおも思いめぐらしの大小が

あり、音声の巨細に及び、これはいにしえの残された方式です。

　　　楽府・・・各地の民間の詩歌・楽曲を採集した漢代の音楽をつかさどる役所

この後、天皇が吉野之地をたずねたく、菟田の穿邑(うがちのむら)より、みずから

軽装の兵を率いて巡りおでまされました。

吉野に到ったときに、井戸の中より出て来る者がいて、光っていて

尾がありました。

天皇が問いて言いました

　「汝は誰だ。」

答えて言いました

　「私めはこの国の神、名は井光(いみつ)です。」

　　　臣(やつかれ)・・・自称の人称代名詞。謙そんしていう語

これは吉野首(よしののおびと)等の家系の最初の人です。

　　　吉野首・・・吉野の周辺の氏族

更に少し進み、また尾があり重く大きな石を押し分けて出て来る者が

いました。

天皇が問いて言いました

　「汝は誰だ。」

答えて言いました

　「私めはこの磐排別之子です。」

排別、これを飫時和句(おしわく)と言います。

これは吉野の国樔部の家系の最初の人です。

　　　國樔・・・大化前代、各地に散在し、非農耕民的な生活様式によって大和政権から

　　　　　　　　　異種族と目された人々

また水に沿って西に行き、また梁(やな)を作り魚を取る者がいました。

梁、これを揶奈と言います。

　　　梁・・・木を並べて川の水をせきとめ、魚を捕るしかけ

天皇はこれに問うと、答えて言いました

　「私めは苞苴擔之子(にへもつのこ)です。」

　　　苞苴擔・・・｢贄(にえ)｣を｢擔(肩に担ぐ)｣贄は鮎の事

苞苴擔、これを珥倍毛菟と言います。

これは阿太(あた)の養

部(うかひべ)部の家系の最初の人です。

九月甲子朔戊辰、天皇陟彼菟田高倉山之巓、瞻望域中。時、國見丘上則有八十梟帥梟帥、

此云多稽屡、又於女坂置女軍、男坂置男軍、墨坂置

炭。其女坂・男坂・墨坂之號、

由此而起也。復有兄磯城軍、布滿於磐余邑。磯、此云志。賊虜所據、皆是要害之地、

故道路絶塞、無處可通。天皇惡之、是夜自祈而寢、夢有天神訓之曰「宜取天香山社中土香山、

此云介遇夜摩以造天平瓮八十枚平瓮、此云毘邏介并造嚴瓮而敬祭天神地祇嚴瓮、

此云怡途背、亦爲嚴呪詛。如此、則虜自平伏。」嚴呪詛、此云怡途能伽辭離。

9月5日、天皇はかの菟田ら高倉山の頂に登り、城の中を望み見ました。

その時に、国見の丘の上に八十梟帥(やそたける)がいて(梟帥、これは多稽屡

と言います)、女坂(めさか)に女軍(めいくさ)を置き、男坂(をさか)に男軍(をいくさ)を置き、

墨坂(すみさか)に

炭(あかきすみ)を置きました。

炭・・・燃えている炭

其女坂・男坂・墨坂の名は、これにより起きました。

また兄磯城(えしき)の軍があり、磐余邑(いはれのむら)に一面に散らべました。

　　　兄磯城・・・古代日本の人物で弟磯城（おとしき）の兄

(磯、これを志(し)と言います。)

賊どもの所は、みなこれは沼地で、故に道路は途切れて閉ざされ、

通ることが出来ませんでした。

　　　要害・・・険要の地。攻防上で重要な地点。ぬま。

天皇はこれを憎んで、この夜自ら祈って寝て、夢に天神がいて教え導いて

言いました

　「宜しく天香山(あまのかぐやま)の社の中の土を取り(香山、これを介遇夜摩と

言います)、そして天平瓮(あめのひらか)を八十枚造り(平瓮、これを毘邏介と

言います)、併せて厳瓮(いつへ)を造って天神と地祇を敬い祭り(厳瓮、これを

怡途背と言います)、また厳呪詛(いつのかしり)をなせ。

　　　天平瓮・・・さかずきに似た平たい土器

　　　厳瓮・・・神聖な土器で、主として神酒を盛り、祭祀に用いる

　　　地祇・・・地の神。国土の神。国つ神

　　　厳呪詛・・・強い呪い

このようにすると、蛮族が自ら平伏するだろう。」

嚴呪詛、これを怡途能伽辭離といいます。

天皇、祇承夢訓、依以將行、時弟猾又奏曰「倭國磯城邑、有磯城八十梟帥。

又高尾張邑或本云、葛城邑也、有赤銅八十梟帥。此類皆欲與天皇距戰、臣竊爲天皇憂之。

宜今當取天香山埴、以造天平瓮而祭天社國社之神、然後撃虜則易除也。」天皇、

既以夢辭爲吉兆、及聞弟猾之言、益喜於懷。乃使椎根津彦、著弊衣服及蓑笠、爲老父貌、

又使弟猾被箕、爲老嫗貌、而勅之曰「宜汝二人到天香山潛取其巓土而可來旋矣。基業成否、

當以汝爲占。努力愼歟。」

天皇、地の神は夢の教えを承られて、それにより将に行う、その時

弟猾（おとうかし）はまた申し上げました

　　　祇・・・くにつかみ。土地のかみ。天のかみ「神」に対し、特に地のかみを「祇」という

　　　弟猾・・・伝説上の人物。大和の菟田県(うだあがた)の豪族の長

　「倭国(やまとのくに)の磯城邑(しきむら)に、磯城(しき)の八十梟帥(やそたける)がいる。

　　　八十梟帥・・・多くの勇敢な族長

また高尾張邑(たかをはりむら)(ある本では葛城邑(かつらきむら)と言います)には、

赤銅(あかかね)の八十梟帥がいる。

これら皆天皇と距戰を興したく、私めは密かにこれを心配している。

　　　距戰・・・防ぎ戦う

今天香山(あめのかぐやま)の埴(はに)を取って、天平瓮(あめのひらか)を造り天社(あまつやしろ)と

国社(くにつやしろ)の神を奉り、その後賊を攻撃し容易くのぞける。」

　　　埴・・・はに。ねんど。

天皇は、夢の言葉を吉相とし、及び弟猾の言葉を聞き、益々心中の思いは

喜びました。

そして椎根津彦(しひねつひこ)を使い、やぶれた衣服と蓑笠を着させ、

老父(おきな)の姿にさせて、また弟猾を使い箕を着させ、老媼(おうな)の姿に

させて、勅で言いました

　　　老媼・・・年をとった女性

「汝二人は天香山に到り潜んでその頂の土を取り戻り来るのがいい。そのつとめの成否は、まさに汝を以て占いを為させる。つとめて気をつけろ。」

是時、虜兵滿路、難以往還。時、椎根津彦、乃祈之曰「我皇當能定此國者行路自通、

如不能者賊必防禦。」言訖徑去。時、群虜見二人、大咲之曰「大醜乎大醜、

此云鞅奈瀰爾句老父老嫗。」則相與闢道使行、二人得至其山、取土來歸。於是、天皇甚悅、

乃以此埴、造作八十平瓮・天手抉八十枚手抉、此云多衢餌離嚴瓮、而陟于丹生川上、

用祭天神地祇。則於彼菟田川之朝原、譬如水沫而有所呪著也。天皇又因祈之曰

「吾今當以八十平瓮、無水造飴。飴成、則吾必不假鋒刃之威、坐平天下。」乃造飴、飴即自成。

又祈之曰「吾今當以嚴瓮、沈于丹生之川。如魚無大小悉醉而流、譬猶柀葉之浮流者柀、

此云磨紀、吾必能定此國。如其不爾、終無所成。」乃沈瓮於川、其口向下、頃之魚皆浮出、

隨水

。

この時、賊の兵が路に満ちていて、路の行き来することが

難しかったのでした。

時に、椎根津彦(しいねつひこ)が、祈って言いました

　「我が皇がまさにこの国を定める者で行く道が自ら通すはずだ、

もし出来ない者なら賊が必ず防ぎ守るだろう。」

と言い終えてすぐに去りました。

時に、賊の群がりが二人を見て、大笑いで言いました

　「大醜(あなみにく)(大醜、これを鞅奈瀰爾句と言います)老父(おきな)老嫗(おうな)は。」

　　　大醜・・・ああみっともない

そして互いに道を開いて行かせて、二人はその山に到ることが出来、

土を取り戻ってきました。

それで天皇は甚だ喜び、そしてこの埴で、八十平瓮・天手抉（あまのたくじり）を

(手抉、これを多衢餌離と言います)八十枚・厳瓮を造り、丹生川(にうかは)の

上流に昇り、天神・地祇の祭りに用いました。

　　　手抉・・・土をまるめて指先でその中をくじりくぼめて作った土器

その菟田川の朝原は、水の泡のようにたとえて呪いのある所が明らか

でした。

天皇はまた祈って言いました

　「吾は今八十平瓮をもちいて水無しで飴を造る。飴が出来て、そして吾は

必ず鉾先の威力をかりずに、平定した天下におわすだろう。」

そして飴を造り、飴はすぐに自ずから成りました。

また祈って言いました

　「吾は今嚴瓮を、丹生之川に沈める。魚の大小が無くみな酔って

流れるように、猶も柀(まき)の葉が浮いて流れるごとくであると

(柀、これを磨紀と言います)、吾は必ずうまくこの国を平定される。

もしそうならなければ、終いには成すことはない。」

　　　柀・・・コウヤマキ科の常緑針葉高木,園芸植物。コウヤマキの別称

そして瓮を川へ沈め、その口を下に向け、しばらくして魚が皆浮き出て、

水のままに

(けんぎょう)しました。

・・・魚が水面に口を出して呼吸すること。あぎとうこと

時、椎根津彦、見而奏之。天皇大喜、乃拔取丹生川上之五百箇眞坂樹、以祭諸神。

自此始有嚴瓮之置也。時勅道臣命「今、以高皇産靈尊、朕親作顯齋。顯齋、此云于圖詩怡破毘。

用汝爲齋主、授以嚴媛之號。而名其所置埴瓮爲嚴瓮、又火名爲嚴香來雷、

水名爲嚴罔象女罔象女、此云瀰菟破廼迷、糧名爲嚴稻魂女稻魂女、此云于伽能迷、

薪名爲嚴山雷、草名爲嚴野椎。」

時に、椎根津彦は、これを見て申しあげました。

天皇は大喜びをし、そこで丹生川の上流の数多くの真坂樹を抜き取り、

そして諸神を奉りました。

これより先嚴瓮を置くことが始まりました。

時に道臣命に勅をされ

「今、高皇産靈尊をもって、朕みずから顕斎(うつしいはひ)をまつる。

顯齋、これを于圖詩怡破毘といいます。

　　　顕斎・・・現実には見えない神の身を現実にいるようにして斎(いつ)きまつること

汝を用いて斎主(いはひぬし)として、厳媛(いつひめ)の名を授けました。

　　　斎主・・・日本で神の祭祀に、主となって奉仕する人をいう(祭主は別)

その所に置かれた埴瓮を名付けて厳瓮(いつへ)として、

また火の名を厳香来雷(いつのかくつち)として、

水の名を厳罔象女(いつのみつはのめ)として、(罔象女、これを瀰菟破廼迷と言います)

　　　埴瓮・・・埴で作った瓶

糧の名を厳稲魂女(いつのうかのめ)として、(稲魂女、これを于伽能迷と言います)

　　　糧・・・食糧。食物。

薪の名を厳山雷(いかのやまつち)として、草の名を厳野椎(いつののつち)とする。」

冬十月癸巳朔、天皇嘗其嚴瓮之粮、勒兵而出。先撃八十梟帥於國見丘、破斬之。是役也、

天皇志存必克、乃爲御謠之曰、

冬１０月の１日、天皇は嚴瓮の糧を嘗めて、勒兵を出しました。

　　　嘗・・・新しくとれた穀物を神に供える祭り

　　　勒兵・・・軍隊を統御すること

まず八十梟帥を國見丘で撃って、これを破り斬りました。

このつとめは、天皇の志が必ず打ちかつものであり、そして御謠で

言いました、

伽牟伽筮能　伊齊能于瀰能　於費異之珥夜　異波臂茂等倍屡　之多

瀰能　之多

瀰能　

阿誤豫　阿誤豫　之多太瀰能　異波比茂等倍離　于智弖之夜莽務　于智弖之夜莽務

伽牟伽筮能(かむかぜの)　伊齊能于瀰能(いせのうみの)　於費異之珥夜(おほいしにや)　

異波臂茂等倍屡(いはひもとほる)　之多

瀰能(しただみの)　之多

瀰能(しただみの)　

阿誤豫(あごよ)　阿誤豫(あごよ)　之多太瀰能(しただみの)　異波比茂等倍離(いはひもとほり)

于智弖之夜莽務(うちてしやまむ)　于智弖之夜莽務(うちてしやまむ)

《神風の　伊勢の海の　大石にや　い這い廻る　細螺（シタダミ）の　細螺の

吾子（アゴ）よ　吾子よ　細螺のい這い廻り　撃ちして止まむ　撃ちして止まむ》

神風が吹く伊勢の海の大きな石に這い廻る細螺、細螺よ、おまえ、おまえ、

細螺の這い廻り　敵を打ち破るまでは戦いはやめない　敵を打ち破るまでは戦いはやめない

　　　細螺(しただみ)・・・キサゴの古名でニシキウズガイ科の巻き貝

　　　吾子・・・二人称の人代名詞で子供や乳母などを親しみを込めて呼ぶ語。おまえ。

謠意、以大石喩其國見丘也。既而餘黨猶繁、其情難測、乃顧勅道臣命「汝、宜帥大來目部、

作大室於忍坂邑、盛設宴饗、誘虜而取之。」道臣命、於是奉密旨、掘?於忍坂而選我猛卒、

與虜雜居、陰期之曰「酒酣之後、吾則起歌。汝等聞吾歌聲、則一時刺虜。」已而坐定酒行、

虜不知我之有陰謀、任情徑醉。時道臣命、乃起而歌之曰、

謡の意味は、大石をその國見丘に例えてます。

間もなく残党はなおも増えるように、その有様はおしはかりがたく、すなわち

思いめぐらして道臣命に勅で言いました

　「汝、うまく大来目部(おほくめべ)を率いて、忍坂邑(おしさかむら)に大室を作り、

盛んに宴饗を設けて、賊を誘ってこれを取らせろ。」

　　　宴饗・・・酒宴を開いてもてなすこと。また、その宴

道臣命は、そこで秘密の命令をうけたまわり、忍坂に穴ぐらを掘って

我が勇ましく強い兵卒を選び、賊と入り交じり居て、陰で決めて言いました

　「酒のたけなわの後、吾が歌を謡う。汝らは吾の歌声を聞いたら、

一度に賊を刺せ。」

その後定めた所に座り酒盛りを行い、賊は我のはかりごとを知らずに、

心ゆくまで直ちに酒に酔いました。時に道臣命が、立って謡って言いました、

於佐箇廼　於朋務露夜珥　比苔瑳破而　異離烏利苔毛　比苔瑳破而　枳伊離烏利苔毛　

瀰都瀰都志　倶梅能固邏餓　勾

都都伊　異志都々伊毛智　于智弖之夜莽務

於佐箇廼(おさかの)　於朋務露夜珥(おほむろやに)　比苔瑳破而(ひとさはに)　

異離烏利苔毛(いりをりとも)　比苔瑳破而(ひとさはに)　枳伊離烏利苔毛(きいりをりとも)　

瀰都瀰都志(みつみつし)　倶梅能固邏餓(くめのこらが)　勾

都都伊(くぶつつい)　

異志都々伊毛智(いしつついもち)　于智弖之夜莽務(うちてしやまむ)

《忍坂の　大室屋に　人多(さは)に　入り居りとも　人多に　来入り居りとも

みつみつし　来目の子等が　頭椎(くぶつつ)い　石椎(いしつつ)い持ち　

撃ちてし止まむ》

忍坂に大室屋に人が沢山入っていても　人が沢山来て入っても　勇猛である来目り子らが

頭椎や石椎を持って　撃って止める

　　　みつみつし・・・御稜威(みいつ)を重ねて形容詞化した語で、威勢がよい、勇猛であるなどの意

　　　頭椎・・・頭椎の大刀の事で古代の大刀の一つ、柄頭つかがしらが塊状をしている大刀。

　　　石椎・・・柄頭(つかがしら)を石または石のように固いもので作った剣

時、我卒聞歌、倶拔其頭椎劒、一時殺虜、虜無復

類者。皇軍大悅、仰天而咲、因歌之曰、

時に、我が兵士が歌を聞き、ともにその頭椎劒を抜き、同時に賊を殺し、賊にまた生きている人間がいませんでした。

皇軍は大いに喜び、天を仰いで笑い、そして歌って言いました、

伊莽波豫　伊莽波豫　阿阿時夜塢　伊莽

而毛　阿誤豫　伊莽?而毛　阿誤豫

伊莽波豫(いまはよ)　伊莽波豫(いまはよ)　阿阿時夜塢(ああしやを)　

伊莽

而毛(いまだにも)　阿誤豫(あごよ)　伊莽

而毛(いまだにも)　阿誤豫(あごよ)

《今はよ　今はよ　ああしゃを　未だにも吾子よ　未だにも吾子よ》

今は　今は　ああいい気味だ　今でさえも　吾子よ　今でさえも　吾子よ

　　　ああしやを・・・「ああしやごしや」のことで、あざけり笑うはやし言葉。ああいい気味だ。　　　　　　　　　　　　　　　　ああばかものめ。

　　　吾子・・・下位者に親愛の意を表わす言葉

今、來目部歌而後大哂、是其縁也。又歌之曰、

今、來目部は歌い後に大いに笑い、これはそれによるものです。

また歌って言いました、

愛瀰詩烏　毘

利　毛々那比苔　比苔破易陪廼毛　多牟伽毘毛勢儒

愛瀰詩烏(えみしを)　毘

利(ひだり)　毛々那比苔(ももなひと)　

比苔破易陪廼毛(ことはいへども)　多牟伽毘毛勢儒(たむかひもせず)

《蝦夷を　ひだり　百(もも)な人　言は云へ雖　手向ひもせず》

えみしは一人で　百人と言えども　手向かいもしない

　　　蝦夷・・・畿内の先住勢力とされている

此皆承密旨而歌之、非敢自專者也。時天皇曰「戰勝而無驕者、良將之行也。今魁賊已滅、

而同惡者、匈々十數群、其情不可知。如何久居一處、無以制變。」乃徙營於別處。

これは皆が秘密の命令を承りそれを謡い、敢えて自分の一存で自由勝手に

したものではありません。

その時天皇が言いました

　「戦に勝っておごりたかぶりの無い者は、良い将の行いだ。今賊軍の

大将が既に滅んだが、そして同じく悪者は、騒がしい十数の群れ、

その状況は分からない。

　　　匈々・・・さわがしいさま。また、どよめくさま

どのように一所に永く居て、変化を押さえてはいけない。」

そして陣屋を別の所に移しました。

十有一月癸亥朔己巳、皇師大舉、將攻磯城彦。先遣使者徴兄磯城、兄磯城不承命。

更遺頭八咫烏召之、時烏到其營而鳴之曰「天神子召汝。怡奘過、怡奘過。過、音倭。」

兄磯城忿之曰「聞天壓神至而吾爲慨憤時、奈何烏鳥若此惡鳴耶。壓、此云飫蒭。」乃彎弓射之、

烏即避去、次到弟磯城宅而鳴之曰「天神子召汝。怡奘過、怡奘過。」時弟磯城

然改容曰

「臣聞天壓神至、旦夕畏懼。善乎烏、汝鳴之若此者歟。」即作葉盤八枚、盛食饗之。葉盤、

此云毘羅耐。因以隨烏、詣到而告之曰「吾兄々磯城、聞天神子來、則聚八十梟帥、具兵甲、

將與決戰。可早圖之。」

11月7日、天皇がひきいる軍隊は大舉で、磯城彦(しきひこ)を攻めました。

先に使者を使い兄磯城(えしき)を呼び寄せ、兄磯城は命令を承りませんでした。

更に頭八咫烏を遣わしこれを召し、鳥がその陣屋に到り鳴いて言いました

　「天神の子が汝を召した。怡奘過(いざわ)、怡奘過。(過、音は倭(わ)です)」

　　　怡奘過・・・誘うときに発することばで、八咫烏の鳴き声

兄磯城がこれに怒って言いました

　「天壓神(あめおすのかみ)が至ったと聞いて吾がなげき憤ったとき、いかに

烏鳥(からす)のように惡鳴をするのか。(壓、これを飫蒭(おす)といいます)」

　　　天壓神・・・天から強い力で圧迫する神

そして弓を弾いてこれを射ち、烏はすぐに逃れ、次に弟磯城の住居に到り

鳴いて言いました

　「天神の子が汝を召した。怡奘過、怡奘過。」

その時弟磯城が驚き恐れて容姿を正して言いました

　「吾は天壓神が至ったと聞いて、朝夕に恐れ慎んだ。良い事だ烏、

汝がこれを鳴くのはこのような者だからか。」

すぐに葉盤(ひらで)を八枚作り、食べ物を盛ってこれをもてなしました。

(葉盤、これを毘羅耐と言います)

　　　葉盤・・・菜菓などを盛って神に供えた器。数枚の柏(かしわ)の葉を竹ひごなどで

　　　　　　　　　刺しとじて円く作ったもの

よって烏に従って、詣に到って告げて言いました

　「吾兄の兄磯城は、天神の子が来たと聞いて、そして八十梟帥を集めて、

いくさの道具を備えて、まさに決戰をおこす。すぐに図ってくれ。」

天皇乃會諸將、問之曰「今、兄磯城、果有逆賊之意、召亦不來。爲之奈何。」諸將曰「兄磯城、

黠賊也。宜先遣弟磯城曉喩之并説兄倉下・弟倉下。如遂不歸順、然後舉兵臨之、亦未晩也。

倉下、此云衢羅餌。」乃使弟磯城、開示利害。而兄磯城等猶守愚謀、不肯承伏。時、椎根津彦、

計之曰「今者宜先遣我女軍、出自忍坂道。虜見之必盡鋭而赴。吾則駈馳勁卒、直指墨坂、

取菟田川水、以灌其炭火、

忽之間出其不意、則破之必也。」天皇善其策、乃出女軍以臨之。

虜謂大兵已至、畢力相待。先是、皇軍攻必取、戰必勝、而介胃之士、不無疲弊。故、聊爲御謠、

以慰將卒之心焉、謠曰、

天皇はそこで諸々の将と会い、問いて言いました

　「今、兄磯城は、予想どおり主君に背く意思があり、呼び寄せてもまた

来ない。これをどうすべきか。」

諸々の将が言いました

　「兄磯城は、悪賢い賊だ。まず弟磯城を遣いこれを言い聞かせて合わせて

兄倉下(えくらじ)・弟倉下(おとくらじ)を説き明かすのがよろしい。もしついに反逆や

抵抗をやめて服従しなければ、その上で兵を挙げてこれに臨み、

また遅くない(倉下、これを衢羅餌と言います)。」

そして弟磯城を遣い、利益と損害を説き明かし示しました。

しかれども兄磯城らは猶も愚な謀を守って、承知して従うことに承諾しません

でした。

時に、椎根津彦は、企てて言いました

　「今時はまず我が女軍を遣うのが宜しく、自ずから忍坂道に出すのがいい。

賊はこれを見て、必ず勢いが激しく出し切り赴くだろう。吾はすなわち強兵を

走らせ、まっすぐ墨坂を指して、菟田川の水を取り、その炭火にそそいで、

またたく間にその不意に出て、そしてこれを破ることは間違いない。」

天皇はその策が良い事とし、そして女軍を出してこれを臨みました。

賊は多くの軍兵が既に至ったと言い、全力をつくして互いに待ち受けました。

以前は．皇軍が攻めて必ず取り、戰に必ず勝ち、それでも甲冑の兵は、

心身が疲れて弱ることもない事も無かったのでした。

故に、安らぐ御謡をつくり、将兵の心を慰めて、謡って言いました、

々奈梅弖　伊那瑳能椰摩能　虚能莽由毛　易喩耆摩毛羅毘　多多介陪麼　和例破椰隈怒　

之摩途等利　宇介譬餓等茂　伊莽輸開珥虚禰

々奈梅弖(たたなめて)　伊那瑳能椰摩能(いなさのやまの)　虚能莽由毛(このまゆも)　

易喩耆摩毛羅毘(いゆきまもらひ)　多多介陪麼(たたかへば)　和例破椰隈怒(われはやゑぬ)　

之摩途等利(しまつとり)　宇介譬餓等茂(うかひがとも)　伊莽輸開珥虚禰(いますけにこね)

《盾並めて　伊那佐の山の　木の間ゆも　い行き守らひ　戦かへば

吾はや飢(ゑ)ぬ　嶋つ鳥　鵜飼が伴　今助けに来ね》

盾を並べて　伊那佐の山の　木の間を　行き来し守り　戦うと　吾は腹が減り　嶋の鳥　

鵜飼を連れて　今助けに来い

果以男軍越墨坂、從後夾撃破之、斬其梟帥兄磯城等。

予想どおり男軍は墨坂を越えて、それゆえ後にはさみ撃ちでこれを破り、

その賊長の兄磯城等を斬りました。

十有二月癸巳朔丙申、皇師遂撃長髄彦、連戰不能取勝。時忽然天陰而雨氷、乃有金色靈鵄、

飛來止于皇弓之弭、其鵄光曄煜、状如流電。由是、長髄彦軍卒皆迷眩、不復力戰。長髄、

是邑之本號焉、因亦以爲人名。及皇軍之得鵄瑞也、時人仍號鵄邑、今云鳥見是訛也。

昔孔舍衞之戰、五瀬命中矢而薨、天皇銜之、常懷憤

、至此役也、意欲窮誅、乃爲御謠之曰、

十二月七日、皇師は遂に長髄彦を攻めて、続けて戦ったが勝つことが

出来ませんでした。

時にたちまち天が曇って雨氷が降り、そして金色の霊妙な鵄(とび)がいて、

飛んで来て皇の弓の弭(ゆはず)に止まり、その鵄が光り輝き、稲光のようでした。

　　　雨氷・・・冷却した雨滴が樹木や地物に当たって凍り、透明な氷層となったもの、

　　　　　　　　　もしくはヒョウやアラレ

これにより、長髄彦の軍兵は皆目がくらんで惑い、再び戦に努めることが

出来ませんでした。

長髄は、この村の元の名で、よってまた人の名としました。

そして皇軍の鵄のめでたいしるしを得て、時の人はなお鵄邑(とびむら)と

名ずけて、今鳥見(とみ)というのはこれの訛りです。

昔孔舍衞(くさか)之戰で、五瀬命(いつせのみこと)に矢が当たりしに、天皇はこれを

心にもち、常に激しく憤り、この戦に至り、心は極めて殺したく、

そして謠を謡って言いました

　　　　　　孔舎衙村・・・大阪府中河内郡にあった村

瀰都瀰都志　倶梅能故邏餓　介耆茂等珥　阿波赴珥破　介瀰羅毘苔茂苔　曾廼餓毛苔　

曾禰梅屠那藝弖　于笞弖之夜莽務

瀰都瀰都志(みつみつし)　倶梅能故邏餓(くめのこらが)　介耆茂等珥(かきもとに)　

阿波赴珥破(あはふには)　介瀰羅毘苔茂苔(かみらひともと)　曾廼餓毛苔(そのがもと)　

曾禰梅屠那藝弖(そねめつなぎて)　于笞弖之夜莽務(うちてしやまむ)

《みつみつし　来目の子等が　垣下に　粟生には　香韮一本　苑が下

そねめ継なぎて　撃ちてし止まむ》

勇猛である来目の子等が垣根の下の粟の生えている畑には　臭いの強いニラが一本

庭園の下に　その根と芽をばらばらにするように　敵を撃破したら戦いをやめよう

　　　みつみつし・・・御稜威(みいつ)を重ねて形容詞化した語で、威勢がよい、

　　　　　　　　　　　　勇猛であるなどの意味

又謠之曰、

また謡って言いました、

瀰都々々志　倶梅能故邏餓　介耆茂等珥　宇惠志破餌介瀰　句致弭比倶　和例破

輸例儒　

于智弖之夜莽務

瀰都々々志(みつみつし)　倶梅能故邏餓(くめのこらが)　介耆茂等珥(かきもとに)　

宇惠志破餌介瀰(うゑしはじかみ)　句致弭比倶(くちびひく)　和例破輸例儒(われはわすれじ)

于智弖之夜莽務(うちてしやまむ)

《みつみつし　来目の子等が　垣下に　植ゑしはじかみ　口ひひく

吾は忘れじ　撃ちて止まむ》

勇猛である来目の子等が垣根の下の植えた生姜は　口にピリピリし　我は忘れず　

敵を撃破したら戦いをやめよう

　　　はじかみ・・・漢字で「矢生姜」と書き葉生姜の一つ

　　　くちひひく・・・口が刺激されてぴりぴりする

因復縱兵忽攻之、凡諸御謠、皆謂來目歌、此的取歌者而名之也。時、長髄彦乃遣行人、

言於天皇曰「嘗有天神之子、乘天磐船、自天降止、號曰櫛玉饒速日命。饒速日、

此云

藝波揶卑。是娶吾妹三炊屋媛亦名長髄媛、亦名鳥見屋媛遂有兒息、名曰可美眞手命。

可美眞手、此云于魔詩莽耐。故、吾以饒速日命、爲君而奉焉。夫天神之子、豈有兩種乎、

奈何更稱天神子、以奪人地乎。吾心推之、未必爲信。」天皇曰「天神子亦多耳。汝所爲君、

是實天神之子者、必有表物。可相示之。」

よってまた兵を従えてたちまちこれを攻め、すべての諸々の御謠は、

みな來目歌と言い、これを謡う者に充てて名付けました。

時に、長髄彦すなわち道を行く人を遣わし、天皇に言いました

　「かつて天神の子がいて、天磐船(あめのいはふね)に乗り、自ら天を降りて

とどまり、名を櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)と言います。饒速日、

これを

芸波揶卑(にぎはやひ)と言います。ここに吾妹の三炊屋媛(みかしやひめ)

またの名を長髄媛(ながすねひめ)、亦の名は鳥見屋媛(とみやひめ)娶り、遂に息子を

もうけ、名を可美真手命(うましまてのみこと)と言います。可美眞手、これを

于魔詩莽耐(うましまて)と言います。もともと、吾は饒速日命を、主君とみなして

仕えています。それ天神の子は、どうして二種あるのだろうか、どうして更に

天神の子と称して、人の地を奪うのだろうか。わが心はこれを押し上げて、

必ずしも信じるものではない。」

天皇は言いました

　「天神の子はまた多く耳にする。汝が主君とする所、これ本当に

天神の子なら、必ず外に出ている部分の物がある。これを相示せ。」

長髄彦、即取饒速日命之天羽々矢一隻及歩靫、以奉示天皇。天皇覽之曰「事不虚也。」

還以所御天羽々矢一隻及歩靫、賜示於長髄彦。長髄彦、見其天表、益懷

、然而凶器已構、

其勢不得中休、而猶守迷圖、無復改意。饒速日命、本知天神慇懃唯天孫是與、

且見夫長髄彦禀性愎

、不可教以天人之際、乃殺之、帥其衆而歸順焉。天皇、

素聞鐃速日命是自天降者而今果立忠效、則褒而寵之。此物部氏之遠祖也。

長髄彦は、すぐに饒速日命(にぎはやひのにこと)の天羽々矢(あめのははや)をほんの少しと

歩靫(かちゆき)を取って、天皇に示し奉りました。

　　　歩靫・・・矢を盛って背に負うための道具。歩弓に用いる靫(ゆぎ)。

天皇は眺めて言いました

　「事は本物だ。」

お返しに天羽々矢のほんの少しと歩靫を片付けて、長髄彦に示しました。

長髄彦はその天の彼方を見て、益々胸のあたりがうやうやしく恐れ謹み、

しかし凶器をすでにかまえて、その勢いがなかばに止まることなくして、

奇妙な計画を守るように、また心意を改めることがありませんでした。

饒速日命は、もともと天神が真心をこめて天孫にだけにこれを与えられたと

知って、またそれが長髄彦の天賦の性質がわじり曲がっているところを見て、

天人のかぎりを教えることが出来ず、そしてこれを殺し、その同類の者たちを

率いて抵抗をやめて服従しました。

天皇は、元から鐃速日命が自ら天上から地上に降下した者で今本当に

忠をつくすと定め、すなわち誉めてこれを慈しみました。これが物部氏の

遠い祖先です。

己未年春二月壬辰朔辛亥、命諸將、練士卒。是時、層富縣波

丘岬、有新城戸畔者。丘岬、

此云塢介佐棄。又和珥坂下、有居勢祝者。坂下、此云瑳伽梅苔。臍見長柄丘岬、有猪祝者。

此三處土蜘蛛、並恃其勇力、不肯來庭。天皇乃分遺偏師、皆誅之。又高尾張邑、有土蜘蛛、

其爲人也、身短而手足長、與侏儒相類、皇軍結葛網而掩襲殺之、因改號其邑曰葛城。

夫磐余之地、舊名片居片居、此云伽

韋、亦曰片立片立、此云伽

知、逮我皇師之破虜也、

大軍集而滿於其地、因改號爲磐余。

己未(つちのとひつじ)の年春二月二十日、諸々の将に命じて、兵士を鍛えました。

この時、層富県(そふのあがた)の波

(はた)の丘岬(をかさき)に、新城戸畔(にひきとへ)が

いました。

丘岬、これを塢介佐棄と言います。

また和珥(わに)の坂下(さかもと)に、居勢祝(こせのはふり)がいました。

坂下、これを瑳伽梅苔と言います。

臍見長柄(ほそみながら)の丘岬に、猪祝(ゐのはふり)がいて、この三ヵ所の土蜘蛛は、

ともに勇猛力にたより、神事の行われる場所に来ようとしませんでした。

　　　土蜘蛛・・・上古の日本においてヤマト王権・天皇に恭順しなかった土豪たちを示す名称

天皇はわずかな軍勢に分けて遣わして、皆これを滅ぼしました。

又高尾張邑(たかをはりむら)に、土蜘蛛がいて、その人となりは、背が低くて

手足が長く、侏儒とお互いに似ていて、皇軍は葛網を結んで相手の

不意をついて襲いこれを殺し、それで改めてその村の名を葛城と言いました。

　　　侏儒・・・見識のない人をあざけっていう語

　　　葛網・・・集団によるきわめて原始的な追込漁業

磐余(いはれ)は、昔の名は片居(かたゐ)と言います

(片居、これは伽

韋と言います)、

また片立(かたたち)と言います

(片立、これは伽

知と言います)、

我が皇師の破った賊を捕らえ、大軍が集まりその地を満ちて、

よって名を磐余(いはれ)に改めました。

或曰「天皇、往嘗嚴瓮粮、出軍西征、是時、磯城八十梟帥、於彼處屯聚居之。屯聚居、

此云怡波瀰萎。果與天皇大戰、遂爲皇師所滅。故名之曰磐余邑。」又皇師立誥之處、是謂猛田。

作城處、號曰城田。又賊衆戰死而僵屍、枕臂處、呼爲頬枕田。天皇、以前年秋九月、

潛取天香山之埴土、以造八十平瓮、躬自齋戒祭諸神、遂得安定區宇、故號取土之處、曰埴安。

ある人が言いました

　「天皇は、かつて嚴瓮の糧食を試食し、出軍して西へ征き、この時、

磯城(しき)の八十梟帥(やそたける)がその場所に寄り集まって住んだ。屯聚居、

これを怡波瀰萎(いはみゐ)と言います。はたして天皇が大戰にくみして、遂には

皇師は滅ぼされた。故に名を磐余邑(いはれのむら)という。」

また皇師が立って告げた所、これを猛田(たけだ)と言います。

城を作った所は、名付けて城田(きだ)と言います。

また賊の仲間が戦で死んで硬直した死体が、腕を枕にした所、

頬枕田(つらまきた)と呼びます。

天皇は、前年の年秋九月、潜んで天香山に埴土を取り、八十平瓮を造り、

みずから齋戒して諸々の神を祭り、遂には一定の地域を安定させ、

故に土を取った所を名付けて、埴安(はにやす)と言います。

　　　齋戒・・・神事に際して身を清めること

三月辛酉朔丁卯、下令曰「自我東征、於茲六年矣。頼以皇天之威、凶徒就戮。

雖邊土未淸餘妖尚梗、而中洲之地無復風塵。誠宜恢廓皇都、規

大壯。而今運屬屯蒙、

民心朴素、巣棲穴住、習俗惟常。夫大人立制、義必隨時、苟有利民、何妨聖造。且當披拂山林、

經營宮室、而恭臨寶位、以鎭元元。上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、

兼六合以開都、掩八紘而爲宇、不亦可乎。觀夫畝傍山畝傍山、此云宇禰縻夜摩東南橿原地者、

蓋國之墺區乎、可治之。」

三月七日、臣下に命じて言いました

　「我自ら東に征って、ここにおいて六年、皇天の威によって、悪行を働く者は

殺された。都から遠く離れた土地は未だに片付かずに魔が事を残して

尚もふさがらずとも、中洲之地(なかすのくに)はまた兵乱がない。

　　　中洲之地・・・大和の国

誠に宜しく皇の都を広く大きくして、規模も大きくて立派だ。しかし今

めぐりあわせが困難につながり、民の心は自然のままで、巣に棲み穴に

住んで、世の中の習わしは常によく考えた。その大人は戒めを立て、人として

ふみ行うべき道は必ず適宜な時に行い、まことに民のためにあり、何者も

天子や聖人など崇めることを妨げない。

　　　大人(うし)・・・領主、また、主人や貴人の尊称

また山林を開き払って、天皇の宮殿を営み、そして慎んで宝の位に臨んで、

人民を鎮める事をもって始める。上に則ち乾靈が授けた国の徳に答えて、

下に則ち皇孫の養う正しい心を広める。

　　　乾霊・・・天の神

その後、六合を兼ねて都を開き、八紘を覆い隠して家となして、なんと

良い事ではないか。

　　　六合・・・天地と四方とを合わせていい、上下四方。全宇宙。

　　　八紘・・・四方と四隅(しぐう)。すなわち、東・西・南・北・乾(けん)（西北）・坤(こん)（南西）・

　　　　　　　　　艮(ごん)（北東）・巽(そん)（東南）をいう

それ畝傍山(うねびやま)(畝傍山、これを宇禰縻夜摩と言います)の東南の

橿原(かしはら)の地を観ると、思うに国の墺区(もなか)であるだろう。

これを治めるのが宜しい。」

是月、即命有司、經始帝宅。

この月、即ち属する官人に命じ、帝の宅で物事を始めました。

庚申年秋八月癸丑朔戊辰、天皇當立正妃、改廣求華胄、時有人奏之曰「事代主神、

共三嶋溝

耳神之女玉櫛媛、所生兒、號曰媛蹈

五十鈴媛命。是國色之秀者。」天皇悅之。

九月壬午朔乙巳、納媛蹈

五十鈴媛命、以爲正妃。

庚申秋八月の十六日、天皇は正妃を立てようとして、改めて広く華胄を求め、

時にある人が申し上げて言いました

　　　華胄・・・身分の尊い家柄。名門。華族。

「事代主神、三嶋溝

耳神(みしまのみぞくひみみのかみ)の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)と共に、

子が生まれた所、名を媛踏

五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)という。

この國色が優れている。」

　　　國色・・・その国で一番の容色。絶世の美女。

天皇はこれを悦びました。

九月二十四日、媛踏

五十鈴媛命を受け入れ、正妃としました。

辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歳爲天皇元年。尊正妃爲皇后、

生皇子神八井命・神渟名川耳尊。故古語稱之曰「於畝傍之橿原也、太立宮柱於底磐之根、

峻峙搏風於高天之原、而始馭天下之天皇、號曰神日本磐余彦火々出見天皇焉。」初、

天皇草創天基之日也、大伴氏之遠祖道臣命、帥大來目部、奉承密策、能以諷歌倒語、

掃蕩妖氣。倒語之用、始起乎茲。

春正月一日、天皇は橿原(かしはら)の宮で帝の位に就き、この年を

天皇の元年としました。

正妃を尊び皇后とし、皇子の神八井命(かむやいのみこと)と

神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)を生みました。

むかしの古語はこれを讃えて言いました

　「畝傍(うねび)の橿原(かしはら)や、底磐之根(そこついはね)に宮柱を立て、高天之原に

搏風(ひき)を高くそびえてそば立ち、すなわち

始馭天下之天皇(はつくにしろしめしすめらみこと)、

名付けて神日本磐余彦火々出見天皇（かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと）と言う。」

　　　畝傍・・・奈良県橿原市の地名

　　　底磐之根・・・地下の岩石

　　　搏風・・・屋根の切妻(きりづま)についている合掌形の板

　　　始馭天下之天皇・・・初めて建設された国，あるいは革新された国を統治してゆく天皇

はじめて、天皇は天皇の仕事のもとになる日を始め、大伴氏の遠い祖先の

道臣命は、大來目部を率いて、秘密の計画をつつしんで承り、歌を倒語で

そらんじることができ、不吉なことが起こりそうな雰囲気を残らず

払い除きました。

　　　倒語・・・言葉を逆の順序で読む言語現象。逆読み、または逆さ読み

倒語を用いること、ここに初めて起きました。

二年春二月甲辰朔乙巳、天皇定功行賞。賜道臣命宅地、居于築坂邑、以寵異之。

亦使大來目居于畝傍山以西川邊之地、今號來目邑、此其縁也。以珍彦爲倭國造。珍彦、

此云于

毘故。又給弟猾猛田邑、因爲猛田縣主、是菟田主水部遠祖也。弟磯城、名黑速、

爲磯城縣主。復以劒根者、爲葛城國造。又、頭八咫烏亦入賞例、

其苗裔即葛野主殿縣主部是也。

二年春二月二日、天皇は手柄を定めてほうびを与えました。

賜道臣命に宅地を立て賜り、築坂邑(つきさかむら)に住み、慈しみを以てこれを

普通とちがう者としました。

また大来目に遣わして畝傍の山の西の川辺の地に住まわせて、今の名は

來目邑と言い、これはその縁によるものです。

珍彦(うづひこ)を倭の国造としました。

珍彦、これを于

毘故と言います。　　

　　　珍彦・・・のちに椎根津彦（しいねつひこ）の名を賜る

また弟猾(おとうかし)に猛田邑を与え、それで猛田の県主(あがたぬし)として、

これを菟田の主水部(もひとりべ)の遠い祖先です。

　　　主水部・・・王権に水・氷を調達することを主な仕事としている集団

弟磯城は、名を黒速(くろはや)とし、磯城の県主としました。

また劒根(つるぎね)を以て、葛城の国造としました。

また、頭八咫烏もまた賞(たまもの)のたぐいに入れて、その苗裔(あなすゑ)は

葛野(かどの)の主殿・縣主・部これです。

　　　苗裔・・・遠く血をひく子孫。末孫。末裔。

　　　主殿・・・屋敷内の中心となる建物

四年春二月壬戌朔甲申、詔曰「我皇祖之靈也、自天降鑒、光助朕躬。今諸虜已平、海内無事。

可以郊祀天神、用申大孝者也。」乃立靈畤於鳥見山中、其地號曰上小野榛原・下小野榛原。

用祭皇祖天神焉。

四年の春二月二十三日、詔で言いました

　「我が皇祖の靈よ、神が天上から下界の人間を見守り、光がわが身を

助ける。今諸々の賊をすでに平定し、天下は無事だ。

　　　朕躬・・・わが身

天神を祀ってもよく、この上もなく孝行を述べる者を用いなさい。」

　　　海内・・・四海の内。国内。天下。世界。

すなわち鳥見山の中に祀りの場所を立て、その地を名付けて

上小野榛原(かみつをのはりはら)・下小野榛原(しもつをのはりはら)と言います。

用いて皇祖・天神を祭りなさい。

卅有一年夏四月乙酉朔、皇輿巡幸。因登腋上

間丘而廻望國状曰「妍哉乎、國之獲矣。妍哉、

此云鞅奈珥夜。雖内木錦之眞

國、猶如蜻蛉之臀

焉。」由是、始有秋津洲之號也。昔、

伊弉諾尊目此國曰「日本者浦安國、細戈千足國、磯輪上秀眞國。秀眞國、此云袍圖莽句爾。」

復、大己貴大神目之曰「玉牆内國。」及至饒速日命乘天磐船而翔行太虚也、睨是鄕而降之、

故因目之曰「虚空見日本國矣。」

三十一年夏四月一日、天皇乗用の輿で各地を見回って歩きました。

そして腋上(わきがみ)の

間丘(ほほまのをか)に登って振り返って国の状況を望んで

言いました

　「なんとすばらしい、手に入れた国は。

（妍哉、これを鞅奈珥夜(あなにや)と言います）

たとえ内木錦のように狭い国であっても、なおもトンボの飛びながら

交尾する様に似ている。」

　　　臀

・・・雄雌のトンボが飛びながら交尾する様

このゆえに、始めて秋津洲(あきつしま)と名付けました。

昔、伊弉諾尊がこの国を目にして言いました

　「日本は浦安の国、細戈千足(くはしほこちだる)国、磯輪上秀真(しわかみほつま)国。」

　　　浦安国・・・心安らぐ国。平安な国。転じて、大和国または日本国の異称。

　　　細戈千足・・・「くわし」は美しい、「ほこ」は矛、「ち」は多く、「たる」はそなわっているの意。

　　　　　　　　　　立派な武器が多くある国

　　　磯輪上・・・地上。人の住む世界。

　　　秀真国・・・すぐれていて、整い備わっている国。

秀眞国、これを袍圖莽句爾といいます。

また、大己貴大神(おおあなむちのおおかみ)が目にして言いました

　「玉牆内国(たまがきのうちつくに)。」

　　　玉牆内国・・・「玉垣」に囲まれている国の意。日本国の美称。

饒速日命(にぎはやひのみこと)は天磐船に乗り大空に飛んで行くことになり、

この郷を睨み降りて、そして目にして言いました

　「虚空見日本国(そらみつやまとのくに)」

　　　虚空見日本国・・・空から見たヤマトの国

有二年春正月壬子朔甲寅、立皇子神渟名川耳尊、爲皇太子。

四十二年の春正月月三日、皇子の神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)を立て、

皇太子としました。

七十有六年春三月甲午朔甲辰、天皇崩于橿原宮、時年一百廿七歳。明年秋九月乙卯朔丙寅、

葬畝傍山東北陵。

七十六年三月十一日、天皇は橿原の宮で崩御され、百二十七歳でした。

あくる年の九月十二日、畝傍山の東北の陵(みささき)に葬りました。